全日本アマチュア野球連盟
設立の経過
昭和29年9月1日にアジア野球大会の開催を契機として、日本学生野球協会と日本社会人野球協会が(1)日本を代表する国際試合の開催に関する事項、(2)その他本会の目的達成に必要な事項、を目的として「日本アマチュア野球協会」が結成され、第6回のアジア大会まで学生2回、社会人3回、(注:第3回は学生、社会人の混成チーム)という派遣方法が実施されました。しかし昭和41年9月16日、上部団体のように誤解されやすい性格をもつ「日本アマチュア野球協会」を脱退することが日本学生野球協会の使命に顧みても、一番望ましいとの判断から脱退を決定いたしました。その後、学生、社会人の両協会とも国際試合に関して窓口の必要を痛感して、昭和42年3月25日、日本学生野球協会及び日本社会人野球協会は、日本を代表するチームの国際野球大会への参加、またはこの開催のために、その共同の付属機構として、「日本アマチュア野球国際委員会」を設置しました。同委員会は、昭和55年8月、東京を中心にアジア地域では初めて世界アマチュア野球選手権大会を開催し、充実した運営をもって成功させました。また、昭和62年にもアジア大会を東京で開催、野球競技がオリンピックの公開競技となったロサンゼルス・オリンピック(昭和59年)で優勝、ソウル・オリンピック(昭和63年)では準優勝の成績を収めるなど、23年間にわたり、その役割を果たしてきました。
本協会ではこれまでの国際大会参加の実績からして国際野球連盟やアジア野球連盟に加盟しているものと認識していましたが実際には加盟の手続きがおこなわれていませんでした。そして野球競技が次回バルセロナ・オリンピックから正式種目に加えられることになったのを受けて、日本学生野球協会では、学生の選手にもオリンピックへの参加資格を得るために「日本学生野球憲章」に違反せず、自主性が阻害されないことを前提に日本野球連盟(旧=日本社会人野球協会)と統合した組織体を結成し、その団体が、国際野球連盟(IBA)、アジア野球連盟(BFA)、日本オリンピック委員会(JOC)に加盟するとともに、統一した方向によって日本を代表する選手の育成強化に務め、全日本チームの編成を図ることに決定いたしました。
これを受けて平成2年3月6日、「日本アマチュア野球国際委員会」を開催し、日本野球連盟並びに日本学生野球協会の間で合意を見て、同委員会の発展的解消と統合組織設立の準備委員会設置を決議しました。その後、4月9日に開かれた第1回設立準備委員会において、規約の草稿については、日本野球連盟と日本学生野球協会の代表者による小委員会を設けて起案することとなり、小委員会は、4月23日に会議をもったほか、数回にわたり打ち合わせを行い、4月27日に開催の第2回設立準備委員会に答申し、名称を「全日本アマチュア野球連盟」とする規約案をまとめ、設立のための発起人会を6月5日に開催いたしました。
設立発起人会においては、新しい組織の目的を「国際的に日本のアマチュア野球を代表する団体として、野球競技の国際的発展を推進し、野球競技を通じて国際友好親善に貢献するとともに、日本を代表する選手等の育成強化を図り、もって世界のアマチュア野球の振興に寄与する。」とする規約及び規約の末尾に記載する設立当初の役員並びに設立日を平成2年6月20日とすることが決議されました。そして、6月20日に第1回の理事会と評議員会を開催し、「全日本アマチュア野球連盟」を設立いたしました。なお、全日本アマチュア野球連盟の性格は、規約第2条に日本学生野球協会及び日本野球連盟の運営に関してその自主性を尊重し、指導、監督的立場にないと明記されています。